あっとすしでほっとして

甘栗の発祥地と天津甘栗の名前の由来は?日本の栗の歴史!

   


栗の代表的なメニューに「甘栗」がありますよね。この甘栗とは、火にかけた小石の中に栗を入れ、砂糖を掛けながら煎った食べ物の事ですが、日本ではいつ頃、どこで、誰が甘栗を作ったのでしょうか?また、日本の栗食の記録はいつ頃なのか紹介しますね。
 

スポンサードリンク

甘栗の発祥はどこ?

日本で最初に甘栗を作って売ったのは、どこの誰なのでしょうか?また、日本人はいつ頃から栗を食べていたのでしょうか?
 

日本で甘栗を作った人と販売した場所は?

日本に「甘栗」が登場したのは、実は近年に入ったからのこと。時代は「1910年(明治43年)」、場所は「浅草の仲町」、甘栗を作って販売したのは「中国人の李金章と日本人の九鬼国次郎」の二人が、「金升屋」という甘栗店を開いたのが始まりです。
 
この時の栗は、中国の山東、天津、大連などから取り寄せたといわれています。そして、当時の日本人には、外の鬼皮も内の薄い渋皮も剥しやすくて、中の栗は甘い甘栗は、直ぐに受け入れられて人気がでました。
 

日本ではいつ頃から栗を食べていたの?

甘栗は明治に入ってから登場しましたが、栗を食べること自体は遥か昔に遡ります。最後の氷河期(紀元前約1万年頃)が終わり、紀元前約5000頃の日本列島に広葉樹が定着し始めました。針葉樹の後、シイ・カシ・クスノキなどの広葉樹が広く分布し始め、その中にクリもありました。
 
その栗と、栗の木を柱にした住居跡が、青森県にある日本最大と言われる縄文集落跡地の「三内丸山遺跡」から大量に出土されていて、その周辺には栗林があったと考えられています。(※確証はありませんが、栽培していたという学説もあります)
  
   

スポンサードリンク

天津甘栗の名前の由来は?

現在、日本では「甘栗」のことを「天津甘栗」と呼んでいます。この二つの呼び名の違いと、名前の由来はどこから来ているのでしょうか?
 

甘栗の由来は中国!

中国では甘栗とは呼ばず、「糖炒栗子」や「炒栗子」と呼んでいます。つまり、「甘栗」とは日本で使われる、甘く煎った栗料理の呼び方なのです。
 

天津甘栗と甘栗の違いは?

中国の栗は、山東や河北産が有名ですが、天津に集められて出荷/出港していました。「天津甘栗」とは、その栗が集められる地名の「天津」と「甘栗」という料理が合わさった、日本独特の呼び方なのです。この「天津甘栗」も日本で銘銘された名称なのです。
 
 

日本の栗の食用の歴史!いつどんな話が伝わってる?

昔から日本人が栗を食べていた事は説明した通りですが、資料に記されている栗料理について紹介しますね。
 

京都の栗林!

飛鳥時代に焼き栗を献上したという説がありますが、山城国(現在の京都)の栗林は、飛鳥時代末期~奈良時代初め頃に、天武天皇が二本の栗の木を植えた後、栗林が広がったと伝わっていることから、天皇が食べるほど定着した食べ物だった事が伺えます。
 

平安時代の蘇甘栗使!

平安時代、大臣就任のときには、朝廷から蘇(乳製品)と甘栗を受け賜るという習わしがありました。この承る品を運ぶ人を「蘇甘栗使・そあまくりつかい」といいます。ただし、平安時代はまだ砂糖は無いので、干し栗/焼き栗だったと考えられています。
 
また、この時代には「搗栗・かちくり」「平栗・ひらくり」などが、丹波・但馬・美作・備中などから献上されていました。そう考えると、栗は日常食だったと考えられます。
  

武士のかちくりとは?

搗栗(かちぐり)とはカチカチに乾かした栗のことで、戦前に用意していました。戦国時代に入ってから「かちくり」の語呂から、武士が勝利の縁起担ぎとして重宝するようになりました。
 
  

最後に一言

日本では長い年月栗を食べてきましたが、甘栗が登場するまで随分と時間がかかったんですね。現在、甘栗屋の金升屋はありませんが、甘栗発祥地の浅草で甘栗を見かけたら、試してみてはいかがでしょうか。
 
 
 

スポンサードリンク

ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

 - 秋の食材