菊の花は縁起が良い悪い?天皇家が家紋に使い始めた関係は?
菊の花は、お見舞いやお祝いで贈って良いか迷いませんか?お彼岸で使われるせいか、縁起が悪いと言われる事がありますが、逆に、天皇家が家紋であり、縁起が良いという説もあります。そんな菊の花と縁起と天皇家の家紋の始まりについて紹介します。
菊は縁起が良い花?悪い花?
菊の花は、縁起が良いという説と、縁起が悪いという説があります。どうして両極端の説があるのか疑問に思いませんか?
どうして菊は縁起が悪いと言われるの?
これは「お葬式で使われる花」「仏花(仏壇に)としてお供えする花」なので、どちらも死や死後の世界に関わる花なのです。だから、祝いごとやめでたいときは場を汚すと考えられてきたからです。
代表的なのが、「お葬式の輪菊」と「お彼岸の仏花」でしょう。古来から日本では、死にまつわる事は全て穢れているとか、不吉だと言われてきたので、菊も同様なのでしょう。
菊の花は縁起が良いと言われるのはなぜ?
菊は日本を代表とする花で、天皇家の家紋でもあります。海外では国花とう国のシンボルの花が制定されていますが、実は日本の法律上、国花はありません。代表的な花として「桜「菊」が上げてられています。
菊は中国伝来の植物で、古来から「寿命を延ばす力がある」と言われていました。だから日本に伝わったときも「長寿の霊薬」「重陽の節句に用いる花(別名:菊の節句)」と言われてきました。
菊の花の長寿にまつわるお話し
因みに、中国には次の様なお話が伝わっていて、この長寿の話を元に、日本では能の「菊慈童」「枕慈童」が演じられているんですよ。
長生きの理由は、上流の山に咲く「野菊」に「長寿の栄養がふくまれている」からだと「風俗通義」(後漢時代)に記されています。
「周国の王に仕えていた主人公が罪人となり、山に流罪となるが、山に咲く菊の葉の雫と飲むと、不老不死になった」
天皇家が菊の家紋を使うのはなぜ?
天皇家の家紋、日本のシンボルの花といえば「菊」!と直ぐにイメージできると思います。それでは、いつ頃天皇家に使われるようになり、当時どの様に扱われてきたのでしょうか?
菊が天皇家に使われたのはいつ頃?
平安時代頃、菊花の紋は様々な美術品や工芸品になどに使われていました。菊を最初に皇室に用いたのは「後鳥羽天皇」で、鎌倉時代(1185年~1333年)です。
後鳥羽天皇は「備前則宗に16枚の花弁の菊紋を刀剣に刻ませた」というのが皇室に最初に使われた菊の紋です。因みに、この剣の名は「菊一文字」と名付けられました。
菊はいつ頃から詩で読まれているの?
菊が日本に伝わった詳しい経緯は解明されていませんが、飛鳥・奈良時代頃だと考えられています。当時の漢詩では、中国文化や仙人や不老長寿を現す花として、菊を使った詠われています。ただし「万葉集(奈良時代)」では一首も菊は使われていません。
和歌で最初に菊が使われたのは、平安時代の797年(延暦16年)10月11日に、桓武天皇が宮中の宴で、次の様な詩を詠みました。
「このごろの 時雨の雨に 菊の花 しりぞしぬべき あたらその香を」
その後、嵯峨天皇(786~842年)が、「凌雲集」や「経国集」に菊の花を使った詩を10首くらい残しています。
菊の伝来について!
菊は中国から日本に伝わったと説明しましたが、原産地は東アジアとなります。どの様に菊の種類が変化して、「菊」という漢字がつけられたのか説明しますね。
菊とはどんな種類の植物?
この植物は「キク科・キク属」に分類されていて、日本には20種類以上が自生しています。つまり、私達が「菊」と呼ぶのは「キク属の総称」のことなのです。そしてこの花は、観賞用、食用、薬用、装飾用など幅広く活用されていて、決してお葬式専用の花だけではありません。
昔の菊の種類は少なくてその内の2種類、「チョウセンノギク(白や紅色の花)」と「シマカンギク(濃い黄色い花)」がありました。中国が唐の時代の頃、大陸でこの2種類が混ざった菊が日本に伝わったと考えられています。
菊の伝来と漢字の
中国から日本に様々な物が伝わる時、漢字と呼び方が変化する事がよくありますが、この菊は、中国語のまま日本に定着しました。
実は、平安時代頃は「カハラヨモギ」や「カハラオハギ」と日本語の別称で呼ばれていたのですが、一般的には浸透せずに中国語の「キク」がそのまま定着したのです。
最後に一言
菊は、仏教行事の先祖供養や葬儀に用いる事が多いので、「死=縁起が悪い」と一部では考えているようです。本来の菊という意味では、出産、結婚、他の様々なお祝いで「不老長寿」「長続きする」など縁起の良い花なのですね。