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たくあんの名前の由来と発祥地はどこ?大根漬けとの違いは?

   


たくあんは昔から食べてきた伝統食品というイメージがあると思いますが、この漬物の特徴は単なる大根の保存食ではありません。もう一つ、別の材料の発展が重要なポイントなのです。そんなたくあんの発祥地、名前の由来、特徴を紹介します。
 

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たくあんの名前の由来と沢庵宗彭とは?

たくあんという漬物を考案したのは「沢庵和尚」という説は広く知られていますが、名前の由来と沢庵和尚について説明します。
 

たくあんの名前の由来は?

実は、僧侶の沢庵が作ったからだけでなく、諸説があって、どれが本当なのかは分かっていません。次の様な説が残っています。

・保存食の「蓄える=たくわえる」という言葉を元に「たくあん」と命名されたという説。
  
・沢庵の墓石が大根に似ていたから命名されたという説。
 
・品川の東海寺の開祖、臨済宗の僧、沢庵宗彭(1573年~1645年)が考案した漬物が沢庵と名付けられたという説。
 
・禅家では大根と茄子を交互に漬けた百一漬けが行われている。これが転じて「たくあん」となったという説。
 

僧侶の沢庵とはどんな人物?

本名を「沢庵宗彭」といい、安土桃山時代~江戸時代初期(1573年~1646年)に実在した人物です。京都の大徳寺、臨済宗の僧侶でしたが、江戸時代初期に起きた朝廷と幕府の衝突で、出羽の国に流罪されるが、放免されて江戸で東海寺を開きます。
 
実際に、柳生十兵衛が柳生新陰流の印可を得るのに貢献したり、日蓮宗と浄土宗の不仲をとりもち将軍(徳川家光)を納得させたりするなど、活動した僧侶の一人なのです。
 
史実では、宮本武蔵との関わりは記されていません。これは、最初に故吉川英治の小説で、フィクションとして二人を関わらせたのが始まりとなります。
 
 

たくあんの発祥地はどこ?起源はいつ頃?

現在、たくあんは全国的に知られていますが、地域によって呼び名が変わります。どこで考案され、他の地域では何と呼ばれているのでしょうか?
 

たくあんはどこの漬物?

東海寺で作られたと伝わっているので、江戸起源の漬物となります。沢庵宗彭が江戸周辺に広め、それから東海方面へ広まったと考えられています。東海寺は現在の品川区に位置しています。
 

他の地域の似た様な漬物は?

たくあんとは、東京では「大根と糟で漬けた漬物」と認識されていますが、九州方面では「百本漬け」、関西辺りでは「辛漬け」と呼ばれる場合があります。
 
 

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たくあんと他の漬物の違いは?

さきほど説明したとおり、たくあんとは大根の漬物全般の事ではありません。「大根を日干しした後、米糟と塩で漬けた漬物」のことです。ここに工夫が加わり、昆布やと唐辛子などを加えるなど工夫されています。
 

米糟の入手とたくあんの始まりは?

塩と糟で漬ける方法は古くから存在していたと考えられていますが、大根を乾かして、小糟と塩で漬けると、小糟が発酵して大根に独特の味が付きます。これがたくあんの美味しい風味となのです。
 
ただし、昔は「糟」は簡単に入手することが出来ませんでした。安定して、大量の米糟を入手できるようになるのは、水車で精米、近代の電動精米機など、精米技術が発達してからなのです。
 
つまり、発祥は江戸時代、安定生産出来る様になったのは近年となります。たくあんが現在の様に身近な食べ物になったのは、そんなに昔の事ではないのですね。
 

漬物の始まりと江戸の大根

野菜を保存する方法として、古くから漬物にしてきました。平安時代には、漬菜・瓜味漬・蕪根漬などがあり、塩・楡の皮の粉・糟などで漬けられていました。室町時代頃には、漬物は進化して「香のもの」と呼ばれる様になります。そんな中、登場したのが干して、漬けるという方法なのです。
 
そして、江戸の大根事情ですが、武蔵の練馬産が上等な大根だと言われていました。江戸では、毎年冬になると各家で大根を漬けていましたが、大根の産地の練馬では、大量にたくあんを作って、一年中江戸城下町に売っていました。火災の多い江戸では、保存食の需要が大きかったと考えられます。
 
 

最後に一言

まとめると、たくあんの命名は沢庵和尚が作っただけでなく諸説がある事、江戸時代の江戸・東海寺で始まり、大根を干して米糟と塩で漬けた食べ物がたくあんとなります。それでは、これからもたくあんをお楽しみくださいね。
 
 
 

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