そばとそば切りを食べ始めたのはいつ頃?昔の蕎麦料理と
蕎麦は日本の伝統料理の一つで、身近な料理の一つでもあります。昔は団子の様にして食べていましたが、日本人はいつ頃からソバという植物を食べる様になって、現在の様に麺で食べる様になったのかなど、蕎麦食の始まりと歴史について紹介しますね。
蕎麦と蕎麦切りの始まりは?
現代では、「そば」と「そばきり」は同じ意味で使われています。例えば、お蕎麦屋さんに行くとき、冷たいザルそば、暖かいかけそば、どちらにしても「そば」という麺の料理のことですよね。本来は、この麺の状態を「そばきり」と言います。だから、「そば」でも「そばきり」でも同じ食べ物を指しています。
蕎麦とは植物の名前のことなのはご存知の通りです。昔は、団子の様に丸めて食べたり、殻を取った実を煮て食べたりしていたのが「麺」に変化しました。これが「そばきり」の誕生です。
そば切りと二八蕎麦の始まりは?
そば粉だけで作った麺は切れやすいものでした。江戸時代初期、寛永期間(1624~1644)の頃に遡ります。
東大寺を訪れた朝鮮半島出身の元珍という僧侶が、「蕎麦に小麦粉を繋ぎに使う料理法を教えた」のが始まりとなります。その後、日本中にそば切りが急速に普及しました。
この時に元珍から伝わった、そば粉と小麦粉の配合が「蕎麦粉8」「小麦粉2」でした。これが、現在に伝わっている「二八蕎麦」の始まりなのです。
そば切りの普及は?
つまり、そば粉を麺にした「そば切り」が広まったのは17世紀なのです。ただし、麺にして食べる方法は元珍から伝わる以前からあったと考えられます。例えば、次の様な資料が伝わっています。
「常明寺入、薬樹、東光にもまちの風呂へ入らんとの事にて行候へ共、人多く候てもどり候。そばきり振舞被申候」
現在の長野県木曽郡大桑村の「定勝寺文書」には、1574年(天正2年)に、年竣工祝いに金永という人物が「振舞そばきり」という言葉を記されています。
蕎麦料理にはどんな種類があったの
現在の蕎麦とは、そば粉を水で溶いて練り、麺にして茹でた食べ物のことを指していますよね。ところが、昔は「実を茹でる」「粉から団子にする」という食べ方があったのです。現在も蕎麦料理として残っているのが、次の様な料理です。
・米麦に混ぜて炊いた物を「そば飯」
・そば飯が変化して「そば団子」
・熱湯で練る「そばがき」
・うどんの発展と小麦粉料理の多様化に伴い「そば切り」が江戸時代に誕生
この様に、最初は実を食べていたのが粉に変り、粉で作る形が団子から麺に変化して現在に至ったのです。
蕎麦が日本に伝来したのはいつ頃?
蕎麦の伝来経路は、大陸から朝鮮半島を経て伝わったと考えられます。ただし、弥生時代(紀元前)頃の遺跡から発掘されているので、その頃には食べていたと推測されています。
栽培の記録は仏教伝来の少し後、8世紀頃となります。いつ、誰が、どのような、指示を出したのかは解明されていませんが、遣唐使が行き来してた奈良時代の頃、栽培が定着したことになります。
奈良・平安時代には、備荒食料(凶作や災害に備えておく食料)として広まりました。最初の栽培地は近江の東側で、伊吹山辺りから東へ伝わっていきます。その後、徐々に木曽や甲斐の山岳地に広まりました。現在、長野県の名産が蕎麦なのは、その頃の名残なのです。
最後に一言
ソバとは、「ナデシコ目・タデ科、・ソバ属」に属する植物で、五穀に分類されず、麦やお米など穀物でもありません。でも、主要な食物として食べられてきたんですね。それでは、これからも蕎麦料理をお楽しみください。
※五穀とは?
諸説がありますが、昔は「稲・麦・粟・大豆・小豆」や「稲・麦・粟・稗・豆」現在は「米・麦・粟・豆・黍(きび)/稗(ひえ)」を指していますが、決まりはありません。