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亥の子はいつどこで始まった行事?由来と歴史は?

   


現代の日本全国では盛んではないけど、昔から一定地域では盛んな行事があります。その一つに「亥の子」という伝統行事は、西日本を中心に行われる、お祭りであり、行事です。そんな亥の子とはいつ頃、どこで始まった行事なのでしょうか?
 

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亥の子の由来と歴史!

亥の子とは、旧暦10月・現在の11月の「亥の日の行事」のことです。行事内の様は、後ほど詳しくはご紹介しますが、この行事は一体いつ頃・どこで始まったのでしょうか?
 

亥の子の由来は?

古来の中国では、亥の日のには餅を食べる習慣がありました。この餅を「亥の子餅」と言います。ただ食べるだけでなく、「亥の日」「亥の刻(9pm~11pm)」に食べないといけません。この習慣が日本に伝わり、宮中に広まった行事です。
 

いつ頃日本に伝わったの?

残念ながら、正確な日本での発祥時期は不明ですが、遅くても「平安時代(794年~1185年)の初め頃」には、宮中に定着していたと考えられます。887年10月の「宇多天皇御記」には、亥の日に色餅を献上したと記されています。そう考えると、仏教や様々な文化が、唐から日本に伝わった時、この習慣も伝わったと考えられます。
 

どの辺りで盛んに行われているの?

西日本全般で盛んな行事で、九州、四国、中国地方の他にも、福井、岐阜、愛知、静岡、神奈川、千葉、一部の東京、埼玉、茨城、佐渡などでも行われています。ここに挙げられた地域の共通点は、飛鳥・奈良時代に天皇が治めていた地域と重なるんです。丁度この時代に、大陸から渡来人と様々な文化が、大和朝廷の時代と重なります。
 
 

亥の子はどんな行事?

始めに少し触れましたが、この亥の子という習慣は、旧暦10月の亥の日、つまり「新暦11月の亥の日」に様々な事を行う行事です。それでは、この日にはどんなことを行っているのでしょうか?
 

亥の日には何をする?
「亥の子餅」と言って、餅をついたり、食べたり、稲の収穫を祝う祭りをする。
 
「亥の搗(つ)き」という、子供達が村や町中の家を回って、門や庭を藁鉄砲や石で搗(つ)く。
 
「炉開き/炬燵開き」をする。
 
「愛嬌箸」を作って使う。
 
それぞれ、地域によって内容は異なりますが、以上のように様々な事を行います。
 

亥の子餅と能勢餅は?

能勢餅とは、餅を宮中や幕府に献上したのが大阪府能勢町だった、だから「能勢餅」と呼ばれていると言う説があります。
 

亥の子の呼び方

10月には亥の日が2~3回あります。最初の亥の日にも色々な呼び方があり、2回目3回目も次の様に同様です。因みに、亥の子のお祝いは、最初の亥の日だけというのが一般的です。

1回目・・・一番亥の子、農家の亥の子、殿様の亥の子、大名の亥の子
 
2回目・・・二番亥の子、商人の亥の子、職人の亥の子、百姓の亥の子
 
3回目・・・三番亥の子、猟師の亥の子、町人の亥の子
 
別名・・・インノコ、亥の子節句、亥の子玄猪(げんちょ)
 
 

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亥の子祭りはなぜ祝う?

亥の日を祝うのは、二つの理由があります。一つは子宝や多産を願うこと。もう一つは、収穫祝いの一つで田の神様を祀ることです。
 

子宝・多産のお祝いの日?

干支の最初が”亥”で始まります。亥とは猪なのはご存知の通りですが、猪は一度に沢山の子供を産みます。そこから子宝を願う行事という説があります。
 

収穫の祝いの日?

亥の日に祝いをする宮中の行事が民間に広まり、稲を収穫と翌年の豊作を願い田の神様へ感謝する日となりました。
 

十日夜と春亥の子

十日夜(とおかんや)は、北関東~東北に収穫を祝う行事があります。時期は旧暦10月10日。この習慣は、亥の子が変化して北に伝わったという説があります。
 
春亥の子という、時期の異なる2月に亥の子を行う習慣が鳥取にあります。一般的な秋の亥の子は収穫を祝い、春の亥の子は豊作を願い田の神様を迎える為となります。
 
 

最後に一言

亥の子とは、関東から北の人にはなじみが薄く、関西から西では千年以上続く伝統的な年中行事。収穫の祝いと多産の祝い、元は宮中で行われ、恐らく中国から伝わったとされるのが「亥の子」となります。
 
 

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 - 秋の行事