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彼岸という言葉の始まりと由来はいつどこで?彼岸のお話し!

   


 
春分と秋分の日前後のことをお彼岸と言います。その春彼岸と秋彼岸は、本来どんな意味で、どこから来た言葉、そして、いつ頃始まった言葉なのでしょうか?また、お彼岸にまつわる、ちょっとした逸話についても紹介しますね。
 

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彼岸という言葉はどこで始まった?

彼岸と言う言葉の始まり、由来といえば良いでしょう。また、春彼岸と秋彼岸はどこで始まった場所は仏教発祥の場所「インド」になります。
 

彼岸とは?

彼岸とは、サンスクリット語・梵語で「パーラミター・波羅蜜多」。漢語に訳されて「到彼岸」となります。そして、その到彼岸を略して、日本では「彼岸」と呼んでいます。
 

到彼岸とはどんな意味?

簡単に説明すると、「到彼岸」とは、現在いるの此岸(しがん)から、涅槃(ねはん)して彼岸へ渡る事を指しています。
 
※涅槃の意味は、肉体の死を意味する場合や生も死も関係ない悟りの極地のことなど、様々なとらえ方があります。ここでは、此岸から彼岸へ渡るという意味で紹介しています。
 

どうして彼岸が大切?

太陽が真東から登り、真西に沈む日には、西にある極楽浄土へ行ける日だと説かれています。つまり、仏教の事が元で使われ始めた言葉の一つが「彼岸」で、生活習慣や一般の行事とは異なるという事です。
 
 

彼岸の意味と由来は?

年に2回ある彼岸、春彼岸と秋彼岸とはいつどこで始まったのでしょうか?仏教は、日本には中国から伝わり、中国はインドから伝わっています。だから、彼岸の行事はインド・中国を経て日本に伝わったと考えられそうですよね。
 

彼岸の法要は中国から伝来した?

実は、彼岸の法要は日本仏教独自の法要で、インドや中国では行われていないと言われています。ただし、この日に宗教としての法要を行うべきだという考えがありました。
 

彼岸の行法の考えは?

7世紀頃、唐の高祖善導大師(ぜんどうだいし)が、太陽が真東から真西に沈む日には、行法の一つ日想観(にっそうかん)を行い、極楽浄土と観想(思いを通わせる)べきだと説きましたが、定着した行法には至りませんでした。
 

日本における彼岸の行法は?

「日本書記・792~833の書」「延喜式・927年完成した法典」に2月と8月に、7日間の法典を行ったと記されています。ただし、この法典が彼岸会だったかは不明ですが、既にこの時代には、彼岸には特別な法典があったという事になります。
 
そして平安時代、仏教が広まった際、この彼岸の法要も広まったと考えられます。
 

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彼岸にまつわる話は?

折角なので、彼岸が登場するお話を紹介したいと思います。このお話は、阿弥陀仏にまつわるお話です。
 

ニ河白道・阿弥陀仏の救いを説く比喩

「観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)」という、中国の善導が、4巻に渡って書いた注釈書で、その4巻に「ニ河白道(にがびゃくどう)」というたとえ話が記されています。

西に向かう旅人の行く手に、突然、荒れ狂う水の川と、燃えさかる火の川が現れました。
 
二つの川を渡るには、僅か4~5寸(約12~15㎝)の、一筋の白い道しかありません。
 
後ろからは郡賊、悪獣、毒虫が迫り、旅人が進退極ると、西岸に人が現れ「正しく念じて白道を渡れ」と教わります。
 
旅人は言われた通り、思い切って渡って命が助かりました。
 
水河・・・瞋恚(しんい、うらみ・憎しみなど)
火河・・・貪欲
群賊・・・欲望
東岸・・・此岸・現世の娑婆
西岸・・・彼岸・涅槃の極楽浄土
励ました者・・・阿弥陀仏
白道・・・煩悩を避けて念ずる往生心
 
 

最後に一言

平安時代頃、日本に広まった仏教と共に至彼岸の法要が、一般に広まって季語となったのが現在の「春彼岸と秋彼岸」と考えられます。
 
 

 
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