あっとすしでほっとして

カツオで税金の支払い?カツオの歴史と初カツオとは?

   

上りカツオや初カツオといえば、初夏の旬の魚とカツオのたたきで有名ですよね。実はこのカツオ、日本人が1000年以上前から食べ続けている魚で、貨幣の変りに税金として納められていたこともあるんです。そんなカツオの歴史について紹介しますね。
 
 

スポンサードリンク

かつおの歴史と税金という年貢

春になると、鮮魚コーナーでは旬の魚としてカツオが目立つところに並びますよね。旬なだけにお値段もお手頃なときがあるのでお財布には優しいですよね。
  
そしてお財布といえば、春は色々出費が多かったり、夏の旅行に貯金したり、もっと税金が安ければなぁ、と思ったことがありませんか?
 

カツオは税金として納められていた?

今でこそ税金といえば、所得や資産に対して国に治める「お金」で支払うのが一般的な金銭感覚ですよね。
 
春になると黒潮に乗って北上する、旬の魚「鰹・カツオ」は、その昔は年貢として扱われていました。つまり税金として納めていたんです。
 

年貢としてのカツオの扱いは何時頃から?

700年代の奈良時代には、カツオが年貢として納めれていたと記録が残っています。恐らく、最も古い記録は、「養老令(757年)」になるのではないでしょうか?この記録の中にある、納める品々の一覧にカツオが記載されているんです。
 
その他の、カツオが税として納められている文献をいくつか抜粋しました。

●駿河国正税帳
「煮堅魚三参伯弐拾斤、納肆拾籠」と税として納めるものとして記されています。

●養老令
「鰒(フグ)十八斤」「烏賊卅」「煮塩の年魚(あゆ)四斗」「堅魚五斤」「煮堅魚五斤」「堅魚煎汁四斤」と当時、納める品の一覧にカツオが記載されています。
 
※煮堅魚・・・生節と考えられています
※堅魚煎汁・・・干鰹の出汁
※堅魚・・・カツオとは干してある物でした

 
この様に、奈良時代の頃はカツオや、数々の食材が納められていたんです。今度は、その後の平安時代のカツオについて紹介しますね。
 
 

スポンサードリンク

カツオと平安時代の食生活

平安時代に入ると、年貢として納めていたカツオが、一部の貴族の間にも浸透するようになります。
 
ただ、記録に詳しく残っているのが、税と祝いの贈答というだけで、当然漁師の間でも食べてきたはずですが・・・。
 

平安時代頃のカツオの扱いは?

約800年代~約1200年代の平安時代の文献にも、税として納められていました記録が残っています。また、この頃から税として納めるだけでなく、祝いの品として貴族社会で重宝されるようになります。

●延喜式
志摩、駿河、伊豆、相模、安房、阿波、土佐、豊後、日向など、黒潮寄せる国々からの堅魚、煮堅魚、堅魚煎汁が納品されています。
 
●宇津保物語
この文献に記されているのは、出産祝いの品の一つとして「沈(じむ)の鰹造りて入れ」「えび、丁字を鰹つき削り物のやうにいれたり」とカツオが記載されています。
 
※沈(じむ)・・・沈香という香木の一つ
※えび・・・栴檀(せんだん)から作られた香
※丁字・・・香の一種
 

カツオはどんな食材だったの?

疫病が流行ることが多々あったので、食べ方について指示が出されていました。平安時代の法令に夜と、魚や肉は必ず火を通して食べるようにいわれていますが、干鮑・堅魚は火を通さなくてよいと記されているんです。
 
つまり鰹とは、今でこそ刺身やたたきにして食べていますが、干してあることが前提の食材だったんですね。
 


 

初カツオの人気と江戸時代

春から初夏にかけて、「初ガツオ」をいう言葉が入ってくることがありますよね。初カツオの人気は江戸時代頃からなんですよ。
 

初物のカツオの始まりは?

江戸時代頃になると、カツオは庶民の食べ物として広く流通するようになります。税金として納めるより、江戸日本橋の魚問屋に4月以前の販売を禁止するお触れが出るくらい、初カツオを一早く食べようと、庶民に広く親しまれていたことが分かります。
 
ついに年貢という税としての品から、庶民から武士に至るまで競って食べるようになりました。そして、初カツオを食べると・・・・

「初物を食べると、75日長生きする」
「カツオ= 勝男と、縁起がよいと武士に重宝される」
 
 

最後に一言

現代と江戸時代頃までの人口を比べると大分差がありますが、今も昔も変わらずカツオ人気は衰えないので消費量は増えているはずです。それならいっそのこと、私たちの税金もカツオ払いなんてさせて貰いたいところです。
 
 

スポンサードリンク

ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

 - 食べ物に関して